本気?流行り?シェアリング社会推進派がシェアリングの本質を理解していないと思う点

現在、日本にはシェアリング社会を実現することを目的としたいくつかの団体があり個々に、或いは連携を取りながら活動しています。しかし、どうもこれらの団体の中には既得利権を得るためとしか思えない活動をしていると言われても仕方がないようなところもあります。

また、団体としては真面目に取り組んでいるにも関わらず、根本的に誤った理解で動いているために、重心がずれてしまっているところもあるように感じます。

通常、シェアリングエコノミーを推進する団体では、シェアリングエコノミーの定義を「インターネットを介して個人と個人の間で使っていないモノ・場所・技能などを貸し借りするサービス」としています。ところがその行動目的となると「この流れを、これからの日本経済の発展につなげられるよう、法的な整備をはじめ、皆が前向きに活動していける土壌をつくってゆく」などとしていて、一気に言語明瞭意味不明化してしまいます。

シェアリング社会を広めて“利用者や消費者”がメリットとなるためには、少なからず直接現代社会の既得利権者、権益者との軋轢が起きることになります。多くの場合、既得権益者とは従来の社会体制の下で利益をあげていたわけで、そこには“パラダイムの変化”が伴うものです。

しかしながら団体の多くは、火中の栗を拾う覚悟に乏しく、そうした活動に着手している気配は感じられません。最初に“流行り?”としたのは、その点で、私の視点では単に新しいIT企業を集めているだけに思えます。

先日も、こうした団体の幹部の方とお話をしたのですが、その中でもオフレコとは言え、全く的外れシェアリングエコノミー論を展開されておられました。内容についてはここに詳細を述べると、何時、誰との会話か判明してしまいますので割愛しますが、それはかい摘まんで言うと“新たな既得権益層の構築”に過ぎないようにも聞こえました。

現実的には実際にシェアリング社会を進めようとすると、なぜか内輪から穏健派のような意見が出てきて、現状維持に繋がる問題定義が起こります。

“世の中を良くする”とはよく使われるフレーズですが、“誰に対して良くするか”を定義してからの議論にはなりません。そのあたりに問題の本質があるのでしょう。