9月8日(土)Sharingday Shibuya 2018が開催されますが、それについて、シェアリング社会の定義についてひとこと

このブログでは、シェアリング社会の実現をその目標に掲げていますので、9月8日、渋谷キャストで開催される、第3回のシェアリングデイのご案内は一応しておく必要があるだろうと思います。ただ実際のところ、これは私達が考えるシェアリング社会の実現とは、かなり一線を画すものなので、実はあまり興味はありません。私は2016年の第1回から足を運んでいるのですが、少し違和感を感じる部分もあります。だからこれはシェアリングエコノミー協会という団体が開催するひとつのイベントであって、これがきっかけで日本にシェアリング文化が広がってゆくかというとかなり疑問ですが、なにかのきっかけになればと考えてご紹介します。

シェアリングエコノミー協会自体は一般財団法人ですが、経済産業省の商務情報政策局の強力なバックアップがあって成り立っています。だからかも知れませんが、これに顔を揃える企業、団体、市町村など自体、実はシェアリング社会とは無用な方の集まりにも思えます。

ここではシェアリングエコノミーの定義を「インターネットを介して、個人間で使っていないモノ・場所・技能などを貸し借りするサービス」としています。これを日本経済の発展に繋げられるように、法的な整備などを進めるのが協会の方針ですので、まさに経済産業省の出先組織の色合いです。にも関わらず、もう3回にもなるのに、第1回から議題に上がっている、民泊やUBERなど、何の進展も見られていません。つまり、本当のシェアリング社会の実現には、あまり効果がなく、ただ、一つのビジネスとして協同組合組織を作って行く目的なのだと感じます。

特にここで頻繁に登場して来る「シェアリングシティ構想」というのには、特に奇異な印象を持ちます。

「少子高齢化や人口減少、子育て・教育環境の未整備など
問題の絶えない日本の各都市。
いまこそ自治体とシェアリングサービスが手を組み、
市民ひとりひとりによるサスティナブルでより魅力ある
「これからの街づくり」を実現するべきではないでしょうか。
シェアリングエコノミー協会では、
日本全国にシェアリングシティを根付かせ、
すべての人が暮らしやすい未来を推進してまいります。

あなたも街も、シェアで変えられる。(主催者HPより引用)」

言語明瞭ではありますが、意味不明な官僚の文書で具体性はありません。

もちろん、それはそれで良いのだと言われる方がいても何ら問題はありません。しかしシェアリングエコノミーをこうした流れで考えていては、いつまで経っても既得権益者だけが闊歩する社会から脱却はできなくなるでしょう。日本は既に経済大国ではありません。それどころか、2020年を過ぎると、深刻な不景気が到来することが、ほとんど常識化しています。

それは単純に需要と供給のバランスに由来しています。つまり需要が8あって供給が10ある。その10が新たに製造されるもので供給されればデフレになります。しかしそもそも市場に供給が5あるのに、規制があってそれが流通できなければ、いつまで経っても10の製造が継続されます。規制を撤廃して、そもそもある5のうち、3が流通できれば、製造は5ですみます。分かる方には分かる理屈ですが、これが数量的検証です。

さらに質量的検証もあります。質量。この場合は質と言い換えてもいいでしょう。例えばインターネット。当たり前すぎて気づきませんが、これは“知識のシェアリング”に他なりません。そう考えるとシェアリング社会とは、東京のベンチャー企業や大企業、官僚や役所などが音頭を取っていて進むという構造のものではないのです。

でも“メルカリ”はベンチャーの成功事例だと言われるかも知れません。しかしあれは単に“不用品を他社に販売する仕組み”に過ぎないのであって、シェアリング社会とは違う土俵の話です。多くは言いませんが例えば市場規模では比較にならない“所有者不在になったもの(不用品ではなく)”の市場はどうでしょうか。ロードサイドにあるセコハンショップはありますが、これらがどれだけの規制を受けているかをご存知の方は少ないと思います。或いは今流行りのリバースモーゲージ。これで回収されるモノ(家だけではなく、基本そこにあるものはすべて回収されます)は、不用品でも中古品でもないものが多くあります。これを国内で流通させることなどもシェアリング社会には重要な案件ですが、ほとんど進んでいないどころか、既得権益者に阻まれて進めない状態になっています。

脱線しましたが、シェアリング社会を進める中で、これからいろいろ出てくる“シェアリング・イベント”には惑わされないようにしてほしいと思います。それは結局、別の既得権益に繋がるだけと言えば言いすぎでしょうか。