「民駐」(駐車場シェアリング)は経済ではなく、社会問題で考えるべき課題

昨年、駐車場シェアリングサービスのリーディングカンパニーで国内最大手のakippa㈱は、東海地区を地盤にしているシード㈱と提携を発表しましたが、その時に説明されたのは“日本にはまだ駐車場が足りない”という論点でした。

“国内の駐車場の市場規模は3兆~5兆と推計されますが、野村総合研究所によると駐車場シェアを含むスペースシェアの国内市場規模(オーナー・ユーザー間の取引総額)は2018年の段階で953億円にとどまる”のだそうです。さらには“これが23年には2575億円と、2倍以上に成長すると推計される”と続きます。

しかしこの試算は果たして正しいのでしょうか。或いは“正しい道筋に導く考え”なのでしょうか。

簡単で儲かるジャンルだからという無機質な論拠の先に何があるのか

1990年、東西冷戦が崩壊した後、世界のパラダイムが完全に瓦解しました。私の知る限りそれから後、日本の社会は間違い続けてきました。幾度も正道に戻る機会はありましたがやはり“経済”という言葉の前には根拠のない一部の既得権益者のためだけの政策がとられることになってきました。その都度、聞かれた“根本的な根拠に欠ける議論”がここでも聞かれているように思います。

“シェアリングサービスの代表格である民泊は運用までに煩雑な手続きが必要だが、”民駐“(駐車場シェアリングサービス)はサイトに登録するだけで事業を始められるので、今後は手軽に始められるシェアサービスの存在感が高まる”と言われます。

また“大手のソフトバンクが駐車場シェアを本格展開したり、パーク24や三井不動産リアルティなども駐車場シェアの拠点数を増やしているので、通常のシェアリングサービス業者も事業を拡大する必要がある”とも言いますが、これでは“民駐”、或いは“駐車場シェアリングサービス”の垣根を曖昧にして、畢竟大手企業の寡占化を進めることになるだけです。このような議論は、この四半世紀の間に山ほど見聞してきました。

“経済”ではない “社会”なんだ!

日本では戦後、“経済的に…”とか“効率が悪いので…”と言われると、途端に思考停止に陥ります。それに代わる価値観が思いつかないためです。“短期の視点での経済効果はそうであっても、中長期の視点では…”とか、“一見効率が悪いように思いますが、それによって実現できる楽しさや広義の社会参画の広がりが社会的な活性につながります”などという議論にはならないのです。しかし敢えて言えば、この四半世紀以上の長期に亘って、日本社会が適切な対策をとれないのは、“経済”と言われると、それ以外の考えに進めないことに原因があります。日本社会に必要なのは“経済ではない。社会!”なのです。

 

急速に注目を浴びているakippaには期待すべきところが大変大きいのは事実です。しかし、ベンチャーとしての第一歩としては成功しているのかも知れませんが、企業としての収益は不十分であることには異論はないでしょう。企業は期待による投資を受けることも大事ですが、事業としての成果をあげられなければ

“母屋をとられる”ことになるのは、やはりこの四半世紀に山ほど見られてきた現象であることを自覚していただき、道を誤らずに進んでいただきたいと思います。